SHINZEN(しんぜん)の「共にのつどい」の名前には「共に生き、共に考えよう」という意味がこめられています。 SHINZEN(しんぜん)では毎月、施設の先生、あるいは障害者ご本人や、お母さん、他のボランティア・グループの方々をお呼びしてお話を伺っており、その内容は、どれも感銘深いものばかりでした。 講師の方は、淡々と語りながらも、一つ一つの言葉の中には、ほとばしるような思いがあり、私たちSHINZEN(しんぜん)スタッフにも熱い情熱が伝わってくるのです。 時には、胸を切り裂かれるような悲しみ、苦しみの淵に立ちながらも、それを超えてきた道のりは聞く者の心をゆさぶりました。 どうやってその壁を越えたのだろうか。どうしたら、そんなにも変わらない心で尽くせるのだろうか... そこには、生きていく上で大切なものが珠玉のようにきらめいていました。 SHINZEN(しんぜん)ではこれから、ブログを通して「共にの集い」の内容を紹介していきます。

SHINZEN(しんぜん)30年間に3000人の孤児達を育てた、母、田内千鶴子を偲んで

30年間に3000人の孤児達を育てた、母、田内千鶴子を偲んで(しんぜん いのちの輝き)

尹 基 「故郷の家」理事長 96年5月

 日本で唯一の韓国、朝鮮在日一世のための特別養護老人ホーム「故郷の家」の理事長・尹基(日本名・田内基)さんをお迎えしました。
先生は、韓国、木浦の「共生園」で孤児達を育ててこられた尹致浩、田内千鶴子夫妻の長男です。当日はご両親のこと、お母さんの生き方が理解できず反発し続けた子供の頃の事、そして現在の活動など熱っぽく語ってくれました。

 父と母が知り合った頃、日韓関係は最も悪い時代で日本が朝鮮半島を植民地支配をしたために土地を失い、親を失い孤児が増えていました。
そんな孤児達30〜40人と共に暮らしていたのが父でした。「木浦共生園」という孤児院の園長であり、キリスト教の伝道者であった父は世間から乞食大将と呼ばれていました。坊主頭にわらじ履き、電気も水道もないあばら家で子供達を育てていたのです。

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 母は、クリスチャンの恩師から「この国に孤児があふれているのも日本が原因です。その子供達の為に、何んでもいいから奉仕をしてくれませんか」と言われ園を手伝うようになりました。

 母は朝鮮総督府の役人の娘で、1919年7才の時に日本から両親と共に木浦に渡ってきました。何不自由なく育った母にとって園の生活は驚くほどの極貧生活でしたが、手を洗うこと、顔を洗うことから教えたそうです。

 2年後、2人は結婚をしました。クリスチャンの父にとって母は神様から送られてきた伴侶だと思ったのでしょう。母も父を心から尊敬しました。しかし当時、韓国人と日本人が結婚することなど考えられない時代で、周囲の人々は大反対しました。その中で祖母は「結婚は人間と人間がするもので、国と国がするものではない。天国では国はなく皆兄弟姉妹。あなたが好きなら結婚していいと思いますよ」と励ましてくれたそうです。

 結婚して数年、日本は敗戦し植民地支配も終わります。そして、日本人は、一夜にして敗者に。それまでの積年の恨みが爆発して、日本人は各地で暴行をうけました。共生園にも村人が興奮してつめかけました。
日本人の母と、日本人と結婚した父を殺しにきたのです。

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 ところがその時、彼らの前に立ちふさがったのが孤児達でした。彼らは、スクラムを組んで「お母さんはたとえ日本人でも、私達のオモニ(母)です」と2人の命を守ってくれたのです。この時、日本人田内千鶴子は死んだと思ったそうです。そして、命ある限りこの子らのために捧げると誓ったのです。

 その後、韓国動乱が起こり両親の困難はさらに続きました。共産軍が木浦まで入ってきて、クリスチャンである父は人民裁判にかけられ死刑になりそうになりました。その後、韓国軍と国連軍の巻き返しで、北朝鮮軍は撤退しましたが、今度は南からスパイ容疑をかけられ投獄されてしまいます。

 疑いが晴れやっと解放されて帰ってくると、戦争孤児にあふれた共生園では極度の食料不足で子供達が次々に倒れていました。危険を覚悟で食料調達に出かけた父は何者かによって拉致されてしまいます。北によるものか南なのか分かりませんが、とにかく父はそれ以来帰ってこなかったのです。母はその父を生涯待っていました。なぜなら父の死を見ていなかったからです。父が帰ってきた時、共生園がなかったら申し訳ないと守り続けてきたのです。

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そして、30年間に3000人の孤児達を育てました。
地味に地味に生きた母でしたが、韓国孤児の「オモニ」と慕われ日韓国交が正常化する以前の63年に韓国政府から文化勲章もいただきました。

 しかし、私の心はいつも不満でした。母は自分の子(2男2女)も、孤児達と同じ条件で育て、寝起きも全て兄貴達(孤児)と一緒でした。
私はいつも母の視線を待っていましたが、母が私を振り向くことはありませんでした。

 「お前は、橋の下で拾ってきた子だから一緒に寝ないんだよ」と言われたり、「チョパリ(日本人の蔑称)」と言われていじめられてもかばってくれません。「なんと嫌な母なのか」私は、母が右と言えば左、左と言えば右と母を困らせる事ばかりやりました。

 ある時、村人が「お前のお母さんは立派な人だ、自分の子さえ孤児と一緒に育てている」と言うのです。自分がこんなに悲しいのに、そういうことで母はむしろ人々からほめられている。「なんというインチキだ」。くやしくて石を投げ、スープに砂利を入れたこともありました。
学校をさぼっては海に行って魚をとって食べていました(笑)。

 そんな反発ばかりしていた私が、本当に母と心を通わせたのは、母が癌で病の床についてからでした。私は大学で福祉を学び、反発をしながらも母のかたわらにいました。その母が長年の無理がたたって倒れたのです。

 病床の母に「お父さんが帰ってくるから長生きしてね。お父さんはきっとお母さんをほめるよ」というと、50過ぎの母が本当に少女のような笑顔になり、「そうかしら、ほめてくれるかしら」というのです。そして「あなたには何もしてあげられなくてごめんなさい。それなのにこうして看病してくれるなんて……」と言いました。私は胸がつまりました。

その母がある時から言葉が変わったのです。死の間際、日本語で「基、もとい」と呼び「梅干しが食べたい」と言いました。その時の私の驚きは言葉で言い表わせません。韓国語を話しチマ・チョゴリを着てキムチを食べ、韓国人になり切りそれを誇りにしていた母。その母が本当に話しやすい言葉は日本語だったのです。

そういう全てのことを捨て、おやじのためにがんばってきた母だったのだと分かった時、私はその大きな愛に打たれ涙を流して「どんなことがあっても、共生園は守るから安心して」と言っていました。そして母は57才の誕生日に亡くなりました。葬儀には3万人もの木浦市民が参加し、母はついに父の元へと旅立ったのです。しかし、その母は今も私の心の中に生きています。

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 現在、尹先生が理事長をしておられる「故郷の家」は、在日一世の韓国人のお年寄り達が、思う存分にキムチを食べ韓国語が話せる終の住みかです。この老人ホームをつくるきっかけは、在日の老人がアパートで1人で死亡し、半年たってから発見されたニュースを見たことからでした。こんな淋しい死があるでしょうか。

日本の行政では、老人5000人に一つの特別養護老人ホームをつくるよう努力しています。今、日本には70万人の在日韓国人がいますが、そのうち10%が老人だとしても、14ヶ所の特別養護老人ホームが必要だということになります。

 先生にとって今、一番つらいのは入所希望者が多くて、毎日のように断わりを言わなければならないことだそうです。在日韓国人が、戦争、連行、異国での居住など、日本によって運命を変えられたことを思うと、これらのことは、私達日本人の問題でもあるのです。居住の多い関西、関東での施設の設立が望まれるところです。

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