SHINZEN(しんぜん)の「共にのつどい」の名前には「共に生き、共に考えよう」という意味がこめられています。 SHINZEN(しんぜん)では毎月、施設の先生、あるいは障害者ご本人や、お母さん、他のボランティア・グループの方々をお呼びしてお話を伺っており、その内容は、どれも感銘深いものばかりでした。 講師の方は、淡々と語りながらも、一つ一つの言葉の中には、ほとばしるような思いがあり、私たちSHINZEN(しんぜん)スタッフにも熱い情熱が伝わってくるのです。 時には、胸を切り裂かれるような悲しみ、苦しみの淵に立ちながらも、それを超えてきた道のりは聞く者の心をゆさぶりました。 どうやってその壁を越えたのだろうか。どうしたら、そんなにも変わらない心で尽くせるのだろうか... そこには、生きていく上で大切なものが珠玉のようにきらめいていました。 SHINZEN(しんぜん)ではこれから、ブログを通して「共にの集い」の内容を紹介していきます。

SHINZEN(しんぜん)偏見や苦労を経て今が幸せ

SHINZEN(しんぜん)いのちの輝きより

偏見や苦労を経て
今が幸せという通所者に学ばされます

c 星野 由美子  「かもめ第一工房」所長 94年5月

 精神障害者とは、早い話が精神病の患者さんです。
皆さん、精神病というと良いイメージはないでしょうね。
マスコミの報道などで恐いという思いを持っているかもしれませんね。確かに報道されている事件は、精神障害者のほんの一部の場面ではあります。
しかし、パニック状態時は、とても短いのです。

 多くの方が、あきれるほど人が良く、真面目で優しいのです。
ただ神経が過敏で、普通の人が二つぐらい周りに気を配るとすれば、十ぐらいも気配りをしています。
ストレスを抱えすぎたとき、鋭敏すぎる神経故に、逆に周りのことが不安になり、自分の悪口を言っているように思えたり、自分を傷つけようとしていると思えたり、恐怖のるつぼに入ってしまい、そんなときに事件が起こるのです。
しかし、それもサポートする人がいれば防げますし、医療で確実に治めることもできます。

 精神病の患者さんというのは実はとても数が多く、全国の病院の総ベット数の3分の1を占めています。
これは一つには入院期間が長いこともあります。
3ヶ月はざらで、若い人でも1〜2年入院している人は多く、収容時代といわれた昔は50年という人もいました。

 厚生省の調査では現在、入院している人の5・5割は地域社会で暮らしていける人であると報告されています。
それでも退院出来ないのは、精神病の患者さんは、家族の承認がなければ退院出来ないからです。
つまり家族が受け入れられない状態にあるということです。

 いずれにしろ長い期間入院するため、退院後、社会復帰するにも元のペースをつかむには、多くの時間が必要です。
退院後の受け皿としての施設に、デイケアセンターや共同作業所があります。
「かもめ第一工房」は共同作業所で、ここはある程度個人のリズムを整えて仕事をやりたいと思っている人のための場です。
かもめには現在20〜29人ぐらいの人が通所しています。

 やっていることは、内職仕事がほとんどで時給200円ぐらいにしかなりませんが、なにが大切なのかというと人間関係なのです。
まず人と出会い、話をする。
大勢の人と一緒にいることに慣れ、人間関係をつくることを、それぞれのリズムでもう一度取り戻していくのです。

 簡単な内職をし、昨日のことを話したり、音楽を聞いたり、笑い、ケンカし、泣き……だんだん人間関係に力がつき、体力も戻ってきた人の中で、もう少し仕事をやりたい人は、グループで近くの老人ホームに2時間くらいの清掃に行きます。
こうしたことを安定して出来るようになり、もっと仕事をしたいという人は社会復帰していきますが、残念なことにここまでたどり着く人は少ないのです。

 ここで、かもめに通っている一人の女性の通過してきた人生の一端をご紹介します。
42才のその方は、23才の時に発病して入院。
退院後に結婚し子供をもうけながらも、また再発し入院。
その間にお子さんが亡くなり離婚。
退院後、再婚しましたがまた再発し離婚という人生をくぐって来ました。

 彼女は実家からバスで5分の所のアパートに暮らしていますが、数年前まではその実家に足を踏み入れることさえ出来ませんでした。
訪ねて行くと、お母さんが玄関で少し話をして、お父さんは奥から出ることもなく、「お父さんは疲れているから帰りなさい」と母親にさとされてしまいます。
弟や妹は、姉がいることさえ隠しています。

 「悲しい」とよく泣いたりしましたので、親に尽くしてあげなさいとアドバイスしました。
季節の食べ物や花を持って行ったり、好物を届けたり、そういう事を2年ぐらい続けたある日、お父さんが「よく来た」と玄関に座らせてくれたのです。
さらに半年後ぐらいに、ついに茶の間に入れてくれたのです。

 今でも、妹や弟は認めてくれないので、正月三が日は行けませんが、4日には両親と過ごせるようになりました。
最近は、洋裁教室に通ったり、デイケアセンターで英会話を習ったりしています。

 そんな彼女が「今が一番幸せだ」と言うのです。
こんなにも苦労をした人がいるのだろうかという彼女が、自分の人生を受け入れた上で、そう言っているのを聞くと、私はいい仕事をさせてもらっているなと思いました。
障害を持った人が偏見や苦労を経て、今が幸せという気持ちに、人間として大切なものを学ばせてもらっています。

〈給食サービス〉おいしいの一言がとても嬉しいボランティア。和気あいあいの一コマです

料理自慢のメンバーがつくる手料理は何よりのごちそう

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SHINZEN(しんぜん)自己決定の重要さを伝え

SHINZEN(しんぜん)いのちの輝き より

自己決定の重要さを伝え、
その意思を尊重する伴走者となる

c 伊澤雄一   「はらからの家」生活協同ホーム  ホーム長 93年11月

 はらからの家は、精神病院退院後地域に生活の場がない、あるいは家族同居が困難な人達の住居施設です。入居者数は約20人。全室個室です。

 といっても、建物は築30年の老朽化した木造で、12年前に職員住み込みで民間のアパートの一部を借りて始めました。そのうち一般住民は1人去り、2人去って、いつしかアパート全体が施設になりました。

 はらからの家がスタートとした12年前は、現在施行されている「精神保健法」が制定される以前でしたので、行政からの援助は一切ない状態でした。
現在でも、ホームを維持していくのはいつも赤字との戦いですが、大学卒業と同時に経験もない自分が、ホーム設立に着手していったのは、あまりにも住まいを求めている人が多かったからです。

 小平(東京)で相談事業専門のボランティアグループにいたとき、身体障害、精神障害、アルコール依存症などいろいろな障害を抱えている人達の願いは住まいでした。
それなら住まいを提供しようということで出発したのが、このはらからの家でした。

 住まいとは、人が心と体を休め明日への活力を担う重要な役割を持っていますが、精神障害を抱えている人達にとってはもっと大きな意味合いがあるのです。

 僕は植物のオリズル蘭方式と言っているんですが、オリズル蘭の枝がいつの間にか伸びて新しい株をつくっていくように、居所を定めてじわじわと生活場面を拡げていくのです。
そもそも精神障害という言葉ですが、これは錯乱、混乱など病気が急性期にある状態を言うのではなく、精神疾患の後遺症による生活障害を略したものです。

 この生活障害とは、社会適応がしづらい、変化にもろい心理的、肉体的弱点を持っているということです。
そういう弱点を持った人達にとって、安定した住まいというものがいかに重要かお分かりいただけると思います。
しかし、現状は住むというより、周囲におびえひっそり暮らす棲むという表現に近いようです。
現在、全国に約1600ヶ所の精神病院があり34万9000人が入院していますが、そのうちの半数の人が住む場所がないための社会的入院者なのです。

 はらからの家に10年前に来られたAさんの場合もそうでした。
Aさんは有名大学を卒業し教師をしていましたが、生家のお寺を継いだことからストレスがたまり発病。妻子とは入院と同時に協議離婚しました。
病気は数年で安定したものの、病気が一番激しかった頃を思い、親族や檀家が寺に戻ることを反対しました。
そのため、なんと28年間も住む場所がないために入院し続けたというのです。

 当時、私は28歳。私が生まれた頃から入院していたのかと思うと感無量でした。
精神障害者の方で、はらからの家に初めて来られたのが、Aさんでした。それ以後 精神障害の方がどんどん来られ、いつしか専門の生活施設になりました。
それだけ精神障害の人の受け入れ先が少なかったからです。

 1988年に「精神保健法」が制定され、生活関連の施設の「援護寮」「福祉ホーム」が制度化されましたが、5年たって新たに「グループホーム」という小規模居住型施設が盛り込まれました。

 しかしそれでも、精神障害の人達の暮らしの場はあまりに少ないのです。
全国に「援護寮」(20人定員)が49ヶ所、「福祉ホーム」(10人)が68ヶ所、「グループホーム」(5人)が78ヶ所で、これらの生活関連施設にいる人は合わせて2050人しかいないのです。

 家族と同居の困難な人が 退院してすぐに一人でアパート暮らしをするのはとても難しいことです。地域の中にもっと多くの生活関連施設ができることが望まれます。

 最後に、私達スタッフがいつもいましめているのは、自己完結型の抱え込みはしないということです。
はらからの家にいる人が問題に直面したとき、こちらが答えを出すというのではいけないと思います。
私達は自己決定が、いかに重要であるかを伝える作業をしています。地域の中で生活するのにはこの自己決定ができるか、できないかがとても重要です。

 問題解決のための社会施設(相談所など)を紹介したり、解決方法をアドバイスします。私達はその人の決定した意思を尊重する伴走者だと思っています。

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(SHINZENしんぜん)発病してこんなになってしまったけど、自分が大好きです


発病してこんなになってしまったけど、自分が大好きです(SHINZENしんぜん いのちの輝き)


野村 忠良  「梅の木の家共同作業所」所長 93年2月

 梅の木の家には現在、上は54歳から下は22歳までの30人の方が在籍しています。そのうち毎日通って来る人は13人くらいです。共通しているのは、真面目で優しすぎるくらい優しく、正直であるということです。
そして、とても感じやすく素直で、人を責めるよりも、まず自分を責めてしまう傾向があります。人付き合いが下手で、あまり自分を出さず、ストレスをため込んでしまうんですね。

 とにかく、優しいんです。例えば、職員が何も気付かずにやっていてもカバーしてくれることがよくあります。心では全部分かっていても黙っているんです。職員と、どっちの方が包容力があるかと思ってしまうこともよくあるんですよ。

SHINZEN(しんぜん)の公式ページは下記にあります

 通っている人達と職員の違いは何かと言えば、私達は元気であるということなんです。そして通ってくる人は元気がない。というのは精神障害の人が服用する薬は、その人の精神や体力を押さえつけてしまい根気をなくし、とても疲れやすくしてしまうからなんです。でも、思いやりや物事を感じたりすることは、むしろ優秀なんです。

 私自身、とても人付き合いが下手な人間でした。それは家庭環境によるもので、私の母は30歳の時に精神病を発病し、その後に私が生まれました。子供の頃に母親に愛された記憶を持たないまま成長したため、心の底にいつも「自分はダメな人間である」というコンプレックスがあったのです。そのためいつも「どうしたら自分は本当の人間になれるか」と考えていました。大学も哲学科を選び卒業後は、仏門に入り、修業もしましたが答えは得られませんでした。

 ところが、縁あって精神障害者施設で働くようになり、そこでカウンセラーとしての勉強をし、自らカウンセリングを受けるうちに、自分自身を見つめる目を持てるようになったのです。あるがままの自分を受け入れ自分を愛することの大切さを知ったのです。

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 通所者の方があるとき、『野村さん、私は発病してこんな私だけれども、自分が大好きです。発病後、いろいろな体験をする中で、いままで見えなかったものが見えてきたし、人間として大切なことも発見しました。あるがままの自分を、あるがままに受け入れ、あるがままに生きていけばいいんですね』と。この深い世界には驚かされました。 私達の中には、欠点や足りないところもたくさんあります。しかし、それらもまるごと自分なのですから、目をそらさずしっかり受け止めて自分を大切に思わなければならないんですね。そうしなければ結局、人も大切にできないんです。

 私は神様がいらっしゃると信じていますから、生命を授けて下さった方に「足りない自分ですが、こうなりたい……」と、ありのままの自分を祈っています。

 日々の中で、はっきり自分を見すえ自分自身を成長させるよう懸命に生き、その上で永遠のものにつながっていくことが大切だと思っています。

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SHINZEN(しんぜん)地位や名誉を糞土のように思い、神を畏れ、おののくことを教えられました。(しんぜんいのちの輝き)

SHINZEN(しんぜん)講話集3
私は戦後間もない昭和22年から昭和61年まで愛隣会に勤め、理事長もやりました。

国から藍綬褒章や勲四等を貰い社会的喝采を浴びた人生を送ったかのように思いました。しかし、それが一体何だったのだろうかと最近つくづく思うようになったのです。

 戦災孤児、母子家庭、精薄者、老人などの弱い人達の面倒をみて、社会的評価を受けて自己満足していたのでした。

 過去を思い起こして、「我誤れり、我罪人なり」とつくづく思うのです。家のことは、家内に任せると体裁のよいことを言って、体の弱い家内や子供達に、愛の手を伸べていなかったのです。

 私には99歳の義母、骨粗鬆症で寝ている妻、病弱な娘、そして、大学2年の時発病して、精神病院に入っている息子がいます。

 鉄格子の向こうからは、うめき声が聞こえるのです。「無駄な人間はいない」と牧師はいいましたが、社会からは一べつもされない息子によって、初めて人間をあわれむ愛を教えられ、地位や名誉を糞土のように思う心を与えられました。そして、神を畏れ、おののくことを教えられました。

 曽野綾子さんの『私を変えた聖書の言葉』の中に「赤ぎれのきれた男」という章があります。二人の画家がいて、一人は、社会的名声を浴びる程、大成していきましたが、もう一人は、寝たきりの母の看病のため故郷へ帰りました。

その母を看とった後、やっと結婚しましたが今度は、結婚七ヶ月後に妻がリューマチを患い再び看病の日々が始まります。そして、彼は、充分に絵筆をとることもままならないまま、一生終えたのでした。

 競争社会に生きる男にとって、後者は耐えがたい人生です。しかし、新約聖書のマタイ伝25/40でイエス様は、「いと小さき者したことは、我にしたことなり」とおっしゃっています。

彼は、母や妻に尽くすことは、「神に仕える」ことであると思って困難な中でも最善を尽くそうとしたのでしょう。
  
「夜と霧」の中でフランクリンはいっています。
 Say メYesモ to life in spite of everything「何事であろうとも『Yes』といえる人生」・・・・・。私もそうありたいと思っているのです。皆様も神に仕えるという気持ちで、ボランティアに励んで下さい。

   佐藤 茂氏 1991年12月

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